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「かながわ情熱アスリート」公開収録のお知らせ
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  • 「荒木の早実」から打って、ずっこけた

  • 昔からやはり「パンチ佐藤」だった。
    武相で中軸を打った3年春。関東大会で大スター・荒木大輔擁する早実と当たった。
    弾丸アーチをかけた佐藤は、一塁を過ぎてずっこけてしまう。「荒木が出てこねえからだ。ざまあみろって、気合が入りすぎました」。その光景、表情がすぐに浮かんでしまうのが、パンチ佐藤という選手だ。
    肝心の夏は2年、3年ともに準々決勝で敗退した。「高校野球は練習したものが最後にちゃんと出る。武相は野球の神様に怒られるようなことばかりをしていた」。“野球以外”の部分から来る不完全燃焼を悔やむ。
    「ただおれはやりました。うちが貧乏で、野球をまじめにやって安定した会社に入りたかった」。ただのお調子者ではなかった。
  • アクセル踏むのは、今でしょ

  • 亜細亜大を経て進んだ熊谷組で、2年連続の社会人野球ベストナインに選ばれた。89年いドラフト1位でオリックスに入団し、1年目は3割超を打った。
    94年に引退したが、「記録より記憶に残る選手」として下火だったパ・リーグを盛り上げた。トレードマークのパンチパーマから取った登録名は、今も芸名、いや自らのアイデンティティーとして大切にする。
    うまくいくことばかりではなかった。でも、だからこそ、現役選手にはこう語る。
    「人間、一生アクセルを踏み続けるなんてできないよ。ただここは踏んでおけという時がある。それが、今なんだと思う」常に持ち歩く自作のシールには、こうある。元気配達人―。今もやはり、パンチ佐藤なのだった。
Memo

パンチ佐藤
武相―亜大―熊谷組―オリックス。本名は佐藤和弘。川崎市中原区出身。強打者として知ら
れ、武相時代は2,3年の春の件大会を連覇するも、甲子園には届かず。53歳
写真提供/神奈川新聞社 1982年7月21日 武相・横浜商工(保土ケ谷球場)

プロを経て振り返る原点 武相・パンチ佐藤、桐蔭学園・長内孝|カナロコ|神奈川新聞ニュース



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