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 5月の放送 

  • 「山の子」が目指した甲子園

  • 1985年夏の神奈川大会で県立ながら4強入りを果たした「山北旋風」は、くじ運や勢いによるものではなかった。当時の主将・木村さんは臆せず言う。「それだけの努力はしましたからね」
    指揮を執るのは、法政二で夏の神奈川5連覇を果たした当時のメンバーだった並木健男監督。頂点を知る指揮官は山北野球部の創部と同時に就任し、ナインを鍛え上げた。
    「休みは年に数日。練習量は強豪私学に負けていなかった」。4番打者の小松さんは猛練習に明け暮れた日々を懐かしく振り返る。
    ハイライトは法政二との五回戦だった。山北は2点を追う八回に、小松さんの同点2点打などで一気に逆転し、優勝候補を破った。本紙は「〝山の子ナイン〟の快進撃」とはやし立てた。
  • 最高の青春と終わらぬ夢

  • 迎えた準決勝。山北は藤嶺藤沢に4-6と惜敗した。2度のスクイズ失敗など、いまひとつの内容に今も「たられば」はやまない。
    一方で、東海大相模や桐蔭学園など並みいる強豪の上に立つ結果に、選手には爽快感の方が強かった。「当時戦った他校の選手と話す機会があると、俺たちはこう言います。勝った方が強いんだよって」。木村さんの口調は少年そのものだ。
    その後も山北は2度4強に進んだ。きっかけを作ったのが「85年世代」であることは間違いない。山あいの小さな町を熱狂させたご当地ヒーローたちは今、OBによる大会「マスターズ甲子園」に毎年出場し、かなわなかった夢を追っている。「あと一歩で行けなかった場所ですからね」と小松さん。第二の青春だと笑う。
Memo

山北旋風/1985年夏の神奈川大会で山北が準決勝に進出。木村壽宏さんは当時の3番で主将、小松善雄さんは4番打者だった。
1985年7月26日 5回戦 山北-法政二@保土ケ谷球場
写真提供:神奈川新聞社


山北旋風1985 “山の子ナイン”の本気度|カナロコ|神奈川新聞ニュース



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