水戸商業では1年生からレギュラー(キャッチャー)として活躍。
亜細亜大学に進学後も、2年生からベンチ入りを果たし活躍。大学卒業後は母校である
水戸商業でコーチとして指導者の道を歩み始めました。
その後、勝田シニアの監督として25年間チームを率い、プロ野球選手も輩出するなどの
輝かしい実績を残しています。
水戸商業では、第73回選抜高校野球に出場を果たす。その後、社会人野球の日立製作所で
活躍。2005年には日本代表に選出。2016年都市対抗野球準優勝。
20年間日立製作所の主軸として活躍。
取手二高から東洋大に進学。大学卒業後、住友金属鹿島硬式野球部でプレーをする。
取手第二高校では、捕手としてプレー。高校3年生の時に1984年の夏の甲子園に出場し
決勝でPL学園の桑田真澄から決勝3ランを放ち、チームの全国制覇に貢献。
その後、東洋大学から住友金属鹿島に進み捕手として活躍。
選手、コーチを経験したのち、監督として16シーズンを指揮。
鎌倉学園高校、早稲田大学の野球部を経て、社会人では東芝でプレー
1983年に横浜商大高の監督に就任。2015年夏まで務める
89年春、93年夏、2003年夏の3度甲子園出場
2020年度日本高野連「育成功労賞」授賞
1954年(昭和29年9月22日生まれ)
高校3年時、夏 昭和47年第54回全国高校野球選手権大会に出場。
当時は北関東大会(栃木、群馬)を勝ち抜き甲子園出場。
奇しくも沖縄返還の年にあたり、南九州の名護高校と対戦し勝利。
(この試合が第1回目の甲子園黙祷試合にあたる。ライトのポジションで黙祷を行う)
3回戦で中京高校に敗退。
チームメートには、元阪急ブレーブス、ドラフト第一指名の石田眞投手がいる。
作新学院 江川卓が一学年下になる
卒業後は、日本体育大学に進学し、昭和52年、栃木県の体育教員となる
指導者としては、足利工業高校、佐野高校、足利南高校で定年退職となる
足工時代に、第64回、66回、69回に指導者として3度の甲子園経験をする
1993年 国士舘高校 主将 キャッチャー
93年第65回春の選抜甲子園出場
主将として選手宣誓を行い、ベスト4まで進出
卒業後、国士舘大学に進学
東都大学2部リーグで四年生の春季リーグで首位打者を受賞
早稲田大学高等学院野球部から、早稲田大学でも野球部に所属。
現在スポーツジャーナリスト。早稲田大学3年では早稲田大学高等学院の
野球部監督を務めた。
雑誌『野球小僧』で「流しのブルペンキャッチャー」としてドラフト候補投手
のボールを受ける活動を始める。
著書に『スカウト』『流しのブルペンキャッチャーの旅』『若者が育つということ
監督と大学野球』など。現在「野球人」 責任編集。