甲府商業で内野手として活躍。高校の2学年先輩に、読売ジャイアンツでプロ通算203勝を挙げ、監督も務めた堀内恒夫さんがいる。
1967年の第39回選抜高校野球大会に学校として初出場を果たしベスト4まで勝ち進む。
現在は社会人野球チーム山梨球友クラブの総監督を務める。
甲府工業高校OBで、現役時代はエース兼4番打者として活躍。
母校の部長として2005年春、2006年夏に甲子園でベンチ入り。
県立の身延高校、甲府昭和高校で監督を歴任。
2024年度日本高野連「育成功労賞」受賞。
日大三高(東京)OB。3年時、捕手として第83回全国高校野球選手権に出場。
強打の一員として学校初の夏の全国制覇に貢献。
この時のエースは、後にプロ野球の大阪近鉄、オリックス、東京ヤクルトでプレーした近藤一樹さん。
関東学院大では主将として全日本大学選手権に出場。
明治安田生命(現・明治安田)でも活躍。
出身は山梨県都留市(都留リトルシニア)。
早稲田実業(東京)OB。高校1年の夏に全国制覇を経験(外野手)。この時のエースはプロ野球日本ハムでも活躍した斎藤佑樹さん。
3年時は西東京大会準優勝。早稲田大学では1年時から公式戦出場。
3年春からは主力となり、大学日本代表にも選出。日米大学野球に出場した。
JR東日本には5年間在籍し、その間に5回都市対抗野球大会に出場。
日本選手権出場も4回した。
東海大甲府OB。主将、捕手として5季連続の甲子園出場に貢献。
1988年は春のセンバツ甲子園でベスト8、夏の甲子園でベスト16入り。
その後、創価大学では学生コーチの道へと進み、1992年の全日本大学野球選手権大会に出場。
取手二高から東洋大に進学。大学卒業後、住友金属鹿島硬式野球部でプレー。
取手第二高校では捕手としてプレーし、高校3年時の1984年夏の甲子園に出場。
決勝でPL学園の桑田真澄から決勝3ランを放ち、チームの全国制覇に貢献。
その後、東洋大学から住友金属鹿島に進み捕手として活躍。
選手・コーチを経験したのち、監督として16シーズンを指揮。
鎌倉学園高校、早稲田大学の野球部を経て、社会人では東芝でプレー。
1983年に横浜商大高の監督に就任し、2015年夏まで務める。
1989年春、1993年夏、2003年夏の3度甲子園出場。
2020年度日本高野連「育成功労賞」受賞。
1954年(昭和29年9月22日)生まれ。
高校3年時、昭和47年第54回全国高校野球選手権大会に出場。
当時は北関東大会(栃木・群馬)を勝ち抜き甲子園出場。
沖縄返還の年に南九州の名護高校と対戦し勝利。
この試合が第1回目の甲子園黙祷試合にあたる。ライトのポジションで黙祷を行う。
3回戦で中京高校に敗退。
チームメートには元阪急ブレーブス、ドラフト1位指名の石田眞投手がいる。
作新学院の江川卓が一学年下になる。
卒業後は日本体育大学に進学し、昭和52年に栃木県の体育教員となる。
指導者として足利工業高校、佐野高校、足利南高校で定年退職。
足工時代には第64回、66回、69回に指導者として3度の甲子園出場を果たす。
大阪出身のアコギ弾き語りメッセージソングライター。高校の校歌を歌う人。夢は高校野球のテーマソングを歌うこと。好きなものは勢いのある人と勢いのあるドライヤーと勢いのあるジェットタオル。得意技は昼夜逆転。
高校時代は吹奏楽部に所属。当時、野球部が甲子園へ出場したため、アルプスで応援したことがきっかけで、高校野球にハマる。Twitter、Youtubeにてアコースティックギターで弾き語る「甲子園出場高校の校歌」の動画が少しずつ反響を呼んでいる。出身校は大阪桐蔭。
現在は拠点を首都圏へと移し都内でフリーで活動中。持ち前の明るく元気な関西キャラとは裏腹に、メッセージを込めたその歌詞で夢や愛への想いや葛藤を聴き手の心に刺さるように語りかけてゆく。