

鎌倉学園高校、早稲田大学の野球部を経て、社会人では東芝でプレー。
1983年に横浜商大高の監督に就任、2015年夏まで務める。
89年春、93年夏、2003年夏の3度甲子園出場。
2020年度日本高野連「育成功労賞」授賞。
1954年(昭和29年9月22日生まれ)。
高校3年時、夏 昭和47年第54回全国高校野球選手権大会に出場。
当時は北関東大会(栃木、群馬)を勝ち抜き甲子園出場。
奇しくも沖縄返還の年にあたり、南九州の名護高校と対戦し勝利、
(この試合が第1回目の甲子園黙祷試合にあたる。ライトのポジションで黙祷を行う)
3回戦で中京高校に敗退。
チームメートには、元阪急ブレーブス、ドラフト第一指名の石田眞投手がいる。
作新学院 江川卓が一学年下になる。
卒業後は、日本体育大学に進学し、昭和52年、栃木県の体育教員となる。
指導者としては、足利工業高校、佐野高校、足利南高校で定年退職となる。
足工時代に、第64回、66回、69回に指導者として3度の甲子園経験をする。
1993年 国士舘高校 主将 キャッチャー。
93年第65回春の選抜甲子園出場、
主将として選手宣誓を行い、ベスト4まで進出。
卒業後、国士舘大学に進学。
東都大学2部リーグで四年生の春季リーグで首位打者を受賞。
木更津中央高校(現木更津総合高校)から千葉工業大学に進学。
京葉銀行をへて現在千葉工業大学のコーチを務めている。
千葉工業大学の選手として出場した1985年の明治神宮大会では1年生ながら
レギュラーとして一塁を守っており、
当時愛知工業大学の西崎投手(元日ハム)からヒットを打っている。
日本大学第三高校から桜美林大学に進学。
その後千葉工業大学で2015年から2021年までコーチ、
2022年から2025年まで副部長、
そして2026年から再びコーチを務めている。
現役時代のポジションは内野手。